私のバレーボール人生!


中学生編

テキスト ボックス: 中学生編@

バレーボールをはじめたのは、兄や小学校時代の上級生の友達が皆 バレーボール部だったのがきっかけです。でも、私は小学校6年生の春に引っ越したので友達とは違う中学校だったのですが、バレーボールで気持ちがつながるとでも思ったのでしょう。まったく迷いも無くバレー部に飛び込みました。同じバレー部には、別に誘った訳ではないが新しい小学校の友達も一緒に入りました。

当時は、男子もバレーボール人気は高く、女子では三屋・江上・広瀬・・・ 男子は、杉本・山田・三橋(男子のメンバーは?です。)で、バレーボール人気が爆発し、当時の女子バレー部は、チームが5・6チームできるのではないかと思うほど部員が入って来ました。男子でも私の同級生は12人もいました。今では考えられない人数です。
2009/05/09

 

テキスト ボックス: 中学生編A

バレー部には、12人の同級生がいた。そのうち4人は運動神経がずば抜けていて、上級生に混じって2年生でレギュラーに抜擢された。残念ながらその中に私はいない。

1年が経ち、私もレギュラー6人に滑り込むことができた。身長もチーム2番目まで大きくなり、しかも左利きという優位な点もあった。しかし、私には大きな欠点があった。それはサーブレシーブの下手さである。私はいつレギュラーからはずされてもおかしくなく、何回か危機的な状況もあった。しかしなんとか卒業まで6人に残って試合に出つづけたのである。レシーブは今も得意ではないが、その当時は目も開けられないもどの下手さだったと自分でも思っている。

そして、その私のレシーブの下手さのおかげで、チームが大きく変身していくのである。
2009/05/16

 

テキスト ボックス: 中学生編B

私のレシーブが悪いが、アタックやブロックはそれなりのプレーをしていたため、チームのみんなでどうしたら良いか考え、出た結論が私をセッターにする事だった。そして、チームはダブルセッターになり、常に前衛が3人で攻撃力があがり、私もレシーブの機会が少なくなるため一石二鳥の選択だった。チームは、市の大会では常に優勝、その上の大会(北駿大会)でも優勝をする無敵のチームとなった。

しかし、最上級生になったある大会で大きなミスを犯す事になる。

その事は、私が高校生になっても語り継がれることになるような事であった。
2009/05/23

 

テキスト ボックス: 中学生編C

地区大会のしかも決勝戦でとんでもない事が起きた。
それは、前の日までさかのぼるのだが、レギュラーでない6人が試合にもっと出たいと先生に訴えたのだ。その時の顧問(4月に変わった新しい先生)は、バレーどころかスポーツにまったく縁の無いような先生で、その訴えをどう受け取ったのかは知れないが、決勝戦の2セット目にレギュラー6人と控えの6人を総入れ替えをしてしまった。こんな事をすると、相手チームはバカにされたと思い死に物狂いの戦いをしてくる。それでなくても普段から互角のチームである。控えの人たちではまったく歯が立たないだけでなく、勢い付いてしまった。それでも、2セット目の後半は、レギュラー組の訴えで何人かは元に戻したが、相手チームの勢いをとめる事はできなかった。

3セット目は、また全員レギュラーに戻したが、勢いに乗った相手チームに手も足も出なかった。

はっきり言って悔しかった。その試合を見ていた3月までの顧問の先生(転勤で他のチームにいた)は、キャプテンと副キャプテンを呼び、別室に連れて行った。多分、相当怒ったに違いない。3月までの顧問はスポーツマンで、相手をなめてかかるようなことを許すはずが無かった。今の顧問が悪いと思うが、それを止められなかった私たちはもっと悪かったのかも知れない。でも中学生には顧問を止める事などできるわけがないとはわかっていた。

この試合が唯一、優勝できなかった地区大会である。この大会の話題は高校生になっても良く話が出てくる。40歳を過ぎた今でも当時をよく知るバレー仲間では出てくる話である。

しかしこの後の私の人生の良い教訓になっている。
2009/05/24

 

テキスト ボックス: 中学生編D

中学校最後の大会はやはり中体連である。ここは静岡の北駿地区といわれ、小山町・裾野市・御殿場市の合同の大会となる。

我がチームは、前大会の準優勝の悔しさや、大会前に先輩がた(この先輩の中には、高校で全国大会へ行った人もいたのである。)が集まってくれて練習試合を繰り返したことにより、一回り強いチームとなっていた。平均身長も他のチームを圧倒し、2セッターという変則なシステムをとり、しかも移動攻撃も行っていた。決勝戦では手こずったが、目標どおり最後の大会は優勝という形で終わる事ができた。

その次の東部大会ではあっさり1回戦で負けてしまったが、良い中学生活を送る事ができた。

実を言うと、我がバレー部は、学校の先生に怒られるくらい練習をしたのである。夏休みなどは、練習時間が決められていたが、その1時間前にみんなで集まり、ダッシュやランニングを行っていた。それが先生に見つかり怒られたのである。それだけ練習したから強かったのであり、素質だけで勝ったのではないということだけ言いたい。

最後にここでもう一度おさらいしておく、あくまで私は6番目のレギュラーだったのである。これは、高校生編まで覚えておいて欲しい。高校でも、波乱万丈なバレー生活を送るのである。
2009/05/31

 

 

《もどる》

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送