私のバレーボール人生!


大学生編

 

テキスト ボックス: 大学生編@

まさか!大学に入ってまでバレーボールをするとは思わなかった。
きっかけは、健康診断or身体測定の時だった。
順番待ちをしていたところ、ある先輩に声をかけられた。
「バスケットでもしていたの??」
たぶんバスケット部の勧誘であったのだろう。一年生がずらっと集まるこの時に、いろんな部が勧誘をしていたのだと思う。
「いえ!バレーボールです。」
「○○!バレーボールだって!」
この○○に入る苗字は覚えていない。
そして、私の所にバレーボール部の先輩がやってきた。
「バレーボールやらない?」
「え、でも・・・!」
「じゃ〜一度練習に来なよ。火曜日〜金曜日4日間4時半から練習しているから。」
その時、私と一緒にいたのが、同じ静岡県出身の下○北高校のバレー部の松○という奴だった。
大学初日に声をかけられてから一緒にいることが多かった。
松○はバレー部には入らず、アルバイトに精を出し、大学3年生の時からは大学に来なくなり、行方をくらましてしまったのである。

結局バレーボールの好きな私は、一度バレーの練習に参加する事になったのである。
2009/10/15

 

テキスト ボックス: 大学生編A

まだ、バレー部に入るつもりもなかったが一度練習に参加した。

一般教養の体育の授業ではバレーボールを選択して毎週1回バレーボールには触っていたのですが、ほぼ1年間本格的なバレーボールの練習はしていなかった。

参加してみてレベルの高さには驚かされた。さすが工学部ではあるが体育会だけのことはあった。レポートや授業で忙しいなか、週4回も練習しているのだからみんな本気でバレーボールをしていた。

話を聞いてみると、高校時代に県準優勝やベスト4などすごい人たちがたくさんいた。
その中で練習をして、決して私が劣っているとも思わなかった。
レシーブはともかく、アタック練習ではいきなり、「ばこ〜ん!」と打ち込み、窓ガラス保護の格子にバレーボールが挟まり、注目をあびた。

しかし、結局この時は夏休み明けまでは大学生活に慣れたいとの理由で入部を断ったのである。
2009/10/16

 

テキスト ボックス: 大学生編B

夏休みになり、母校(高校)のバレーの練習に頻繁に顔を出し、後輩の指導をしていた。もう、この時には大学でバレーボールをしようと決めていたと思う。

夏休み中に自分もしっかりと身体を作り、万全の体制でバレー部に入部しようとしていた。平日は工場でアルバイトをし、休日はバレーボールとなまった身体が引き締まってきた。

実は、高校3年生のバレー引退から体重が増え続け、1年ちょっとで10Kg弱増えていたのです。

そして、夏休みが終りバレー部入部の時をむかえるのである。

【大学時代は、時間があり試合結果をすべてメモしてあるので、その結果も含めて紹介していきます。】
2009/10/17

 

テキスト ボックス: 大学生編C

夏休み明けの部室を訪問し入部の挨拶をしたところ大歓迎された。

そして、練習に入ったところあることに気が付いた。レギュラー6人の内、5人まではすごい選手方だったが、ただ1人ライトアタッカーは、高校までセッターをしていた選手が入っていた。アタッカーというよりはレシーブ要因として入っていたのだと思う。

部員は20人ほどいたと思うが、レギュラーは3年生3人と1年生3人で、ライトアタッカーも1年生で同級生であった。まるで、ライトアタッカーのポジションは私のために空けてあったかのように見えてしまった。

入部2日目にはレギュラーのポジションには私が入っていた。この後、私は一度も危ぶまれること無く2年半に渡りレギュラーポジションを確保したのである。なぜ2年半か?というと、4年生は就職活動があるのでメインの大会には出場することはないく、OBの扱いとなる。練習も合間をみておこなう程度で、主将も3年生が勤めているのである。

高校までは6番目の選手であった私は、このすごい経歴の持ち主たちのチームに入っても、ヒケを取らない実力であることがわかり、自分でもびっくりした。

この後の2年半は私のバレーボール人生の中で一番輝いていた時代を迎えるのである。(高校までとはだいぶ違うバレーボール人生となります。)
2009/10/18

 

テキスト ボックス: 大学生編D

入部してすぐに練習試合が行われた。

相手は埼玉県の坂戸にある東京●機大で、近くの大学という事で頻繁に練習試合をおこなっていた。

私の出場したレギュラークラスは
 3−0
準レギュラークラスは
 3−1
の結果だった。

初めての試合で、まだチームにもなれていなかったが、この練習試合でチームになじめた感じがした。

次回は初公式戦を書きます。
2009/10/19

 

テキスト ボックス: 大学生編E

初の公式戦、それは秋の同好会の試合である。我が部は体育会なのですが、この大会に参加している。

今大会は102チームが参加し3チーム毎34ブロックに分かれて上位1チームが準決勝トーナメントへ進み、ベスト4が決勝リーグへ進める仕組みとなっている。

私は○洋大(工学部)Bチームとして出場(確か4年生がAチームだったと記憶してます。)し、予選リーグは
立○C 2−0
上□B 2−0
と無難に突破し、準決勝トーナメントは
1回戦 日△(生産工) 2−0
2回戦 筑☆A     0−2
でベスト16でした。
この大会の優勝チームは私たちが負けた筑☆Aだった。

筑☆Aとはチームとしての力の差を感じたが、個人的にはやっていく自信が付いた大会であった。このときは、まだ、レシーブの下手な私であることは変わりが無かった。
2009/10/20

 

テキスト ボックス: 大学生編F

同好会よりも重要な試合が関東理工系バレーボール大会(通称:理工連)である。
1部〜4部まであり各5チームの総当りで、上位1チームが上部の最下位のチームと入れ替え戦を行うシステムとなっている。

我大学は2部に在籍していた。チームが目指しているのはこの理工連の1部であり、同好会とは気合の入り方が違っていた。
チームの調子も上がってきて、私も入部2ヶ月すぎチームにとけこむことができていた。

理工連2部は、同好会と違い同等の実力のチームが集まっていてどきどきしてしまった。

試合は
 @東京工○大学 0−2
 A芝△工業大学 2−0
 B□治大(生田) 2−1
 C筑☆大学   2−0
の結果で2位だった。

バレーボール人生でこの年が先輩に頼って練習をした私の最後の年であった。この後は、自分で考え・自分にムチを打って練習をする事になる。そして苦手だったレシーブが大きく変わってくるのである。
2009/10/21

 

テキスト ボックス: 大学生編G

3年生が抜けた後は大変であった。レギュラーで残った3人は全員1年生であったからである。そこへ2年生が3人入るか、1年生のセッターを入れて2年生2人が入るのかが問題であった。

そして、学年が1年上がり取られたのが、新2年生3人と新3年生3人がレギュラーとなり、私と新3年生の1人でダブルセッターという方法であった。私はセッターの経験があるので多少はできたが、新3年生は素人のようなセッターであり無理があった。しかも、もともとレギュラーだった新2年生と後からレギュラーとなった新3年生との実力差は大きく、チームがぎこちなくなってしまった。

それでも、その体制で春の同好会の大会に参加したのである。

【おまけ】
新3年生を悪く書いていますが、とても良い先輩たちでした。この後我が○洋大学工学部の全盛期を迎えることとなりますが、この先輩たちがいろいろと我慢をしてくれたおかげです。すごく感謝をしています。
2009/10/22

 

テキスト ボックス: 大学生編H

この年の春の同好会の大会も100を超えるチームを参加して始まった。我チームは、昨年度よりもチーム力は落ちたが、なんとか予選リーグは勝つことはできた。しかし、準決勝トーナメントは1回戦敗退で、ベスト32で終わってしまった。

【同好会大会結果】
予選リーグ
 青○学院C 2−0
 △奈川大B 2−0
準決勝トーナメント
 専◇大学A 0−2

同好会大会が終わった後に、格下の東京●機大と練習試合を行ったが、
 1-2
で負けてしまった。

この後2セッターをやめて、元セッターの同期の1セッターに変更し、私もライトアタッカーに戻った。3年生のレギュラーが一人減ってしまったが、今のチーム状態では仕方なかった。

同好会大会から3週間で、1セッターへ変更しチームとして確立したものにしなければならなかった。

そして迎えた理工連である。なんとか2勝2敗の3位となり、3部降格の危機を乗り越えたのである。

【理工連】
 @芝○工業大学 1−2
 A◇治大(生田) 0−2
 B工学△大学  2−0
 C筑☆大学   2−0

このどん底のチーム状態を乗り越えられたことは大きかった、そして新一年生が入部してきた事により、チームが飛躍的に強くなり、一目置かれるようになるのである。
2009/10/23

 

テキスト ボックス: 大学生編I

春の「理工連」が終了してからチームが大きく変わった。
 @同級生のエースアタッカーの入部
 A同級生のセンタープレーヤーの退部
 B新一年生が大勢入部
という3つの出来事が起こった。
同級生のエースアタッカーは、背は大きくないが東京都の優秀な高校を出ていて、本格的なエースアタッカーであった。今までも同級生のエースアタッカーはいたが、高校時代はセンタープレーヤーであったので、パワーは人並み外れたものがあったが、フォームは小さくセンター向きに見えた。そして、新一年生で180cmを越えるエースアタッカーがいたため、この2人を両エースアタッカーとした。

同級生でチーム一背の大きなセンタープレーヤーがいたが、性格が悪く、チームの雰囲気を壊す奴であった。プレーは確かによいものを持っていたのだが嫌われていた。そいつが、女性問題でバレー部を退部して行った。そのため、同級生の今までエースアタッカーだった奴をセンターへコンバートした。

ライトアタッカーは私のまま、セッターも同級生のままとなり、あとセンタープレーヤー一人足りなかった。

私が目をつけた新一年生がいた。高校時代はエースアタッカーだといっていたが、アタックフォームは小さく、動きが敏捷で、ジャンプ力があった。どう見てもセンタープレーヤー向きであった。その日から私の一存でセンターへコンバートし、レギュラーポジションにすえた。

これで、レギュラー6人が決まった訳だが、1・2年生のみとなり3年生がレギュラーからいなくなってしまった。普通これでは3年生から文句が出てもおかしくなかったが、3年生は文句も言わずに我々を強くするために協力してくれた。今考えても良くレギュラーポジションを譲ってくれたものだと思う。

しかし、このレギュラー6人のチームは強かった。見違えるようなチームとなった。

私自身も上級生も監督もいないチームで、上手くなるためにはどうしたら良いかを考えるようになるのである。
2010/11/13

 

テキスト ボックス: 大学生編J

2年生の夏休み前あたりから私の中でサーブレシーブがうまくなるにはどうしたらよいのだろうか?ということを良く考えるようになった。

今までは、監督や上級生にバレーボールを「やらされていた」のだが、今は頼る先輩も監督もいなくうまくなるには自分で何とかしなければならなかった。

この頃は、下宿に戻ってからも腕立て伏せと腹筋は毎日欠かさず行っていたし、チームのことなどバレーボールのことを良く考えていた。常にチームの6番目の選手で、みんなに引っ張って行ってもらっていたが、大学ではチームを牽引する一人となっていた。

自分が手本を見せなくては、後輩は付いてこないし、うまくならない。そのためにも自分は成長しなければならなかったし、苦手を克服しなければならなかった。

サーブレシーブがうまくなるために四苦八苦したが、とにかくボールを引き付けて、目を離さないことを心がけることにより急速にうまくなることができた。

そして、サーブレシーブは、人並みor人並み以上になることができた。あるとき、高校の同級生に「高校時代も今ぐらいサーブレシーブがうまかったら、もっともっと強かったのに・・・!」といわれたほどだ。

これで、私は苦手意識を持つものが無くなったのである。
2010/11/14

 

テキスト ボックス: 大学生編K

夏休みに入り1ヶ月は完全にオフとなり、その怠けた身体を夏休みの合宿でこき使い、筋肉痛が取れたところで、夏休みが明けて本格的な練習に入った。

チームも1・2年生でまとまり、順調に仕上がっていった。
そして秋の同好会の大会が始まった。

予選リーグは順当に勝ちあがり、準決勝トーナメントの抽選になぜかくじ運の悪い私が参加した。そして引いたクジが最悪だった。

常に上位に食い込んでいる日○大学(通称:文同)で、平均身長も180台後半で我チームよりも10cmぐらい大きく、私はショックであった。

そして試合は、負けてもともとという気持ちでぶつかって行った。しかし、予想に反してどっこいどっこいの試合となり、粘りを見せた我チームがフルセットで勝ってしまった。

そして、次の試合も常にベスト4に入っている専☆Aである。まさかまぐれが2回も続くわけ無いという気持ちであった。しかし、この試合でも粘りを見せた我チームは、まさかまさかのフルセットの勝利であった。

残念ながら、次の試合は力尽きて負けてしまったが、この2試合で私たちのチームも強豪の仲間入りを果たす事となり、大物食いの◇洋大学といわれ、注目を集めるようになった。

【同好会大会成績】
予選リーグ
 @埼△大C 2−0
 A上◎大B 2−0
準決勝トーナメント
 @日○大(文同) 2−1
 A専☆大A   2−1
 B筑★大D 0−2
ベスト8(チーム歴代1位タイの成績だそうです。)

100チーム中のベスト8ですので、大した成績です。 
2010/11/15

 

テキスト ボックス: 大学生編L

同好会大会の調子は理工連まで続いていた。この頃は自分たちのチームは強いという自信もあったし、私自身も自信を持っていた。

平均身長はそれほど大きくない(確か178cmぐらいだったと思う)けれど、アタック練習を始めるとすごいものがあった。

レギュラー5人のアタックはバッコン!バッコン!と打ち込み、そこら辺の小学校や中学校の体育館だと、ワンバウンドしたボールはすべてギャラリーに乗ってしまうほどだった。セッターもそのように打てるようなトスを上げてくれていたんですけどね。

【理工連成績】
 @芝○工大 2−0
 A筑△大学 2−0
 B千◇工大 1−2
 C☆蹊大学 2−1

の3勝1敗であった。C☆蹊大学も3勝1敗であり、しかもセット率も同じであったが失点が少なかった、我チームが優勝になった。これで、1部の最下位チームとの入れ替え戦に出る資格が与えられた。

入れ替え戦成績
 明◎大(生田) 0−2

残念ながら負けてしまい2部残留となった。このときのことは良く覚えているのだが、2部で全勝優勝しなければ入れ替え戦で勝つことはできないと思い、「次回は絶対に全勝優勝してやる!」と誓ったのである。

 私たちのチームは1・2年生のチームで来年度も同じメンバーで試合ができるのであるので、他のチームよりも優位であることはわかっていたので、全勝優勝は決して夢ではないと思ってました。
2010/11/16

 

テキスト ボックス: 大学生編M

3年生となり、実質最上級生となった。(前にも書いたが4年生は、就職活動などでOBとしての扱いとなります。)そして、私は副主将という立場になりました。副は付くけども主将というと偉いような感じがしますが、やる事は無いんです。一番気楽な役職かもしれません。

学年は1年上がったけれども、レギュラーメンバーに変更は無く、チームはますます調子が上がっていった。私も全盛期を迎えることになります。
2010/11/17

 

テキスト ボックス: 大学生編N

春の同好会リーグがまた始まりました。
やっぱり参加チームは100以上でした。
同好会リーグは同じ大学から何チームも参加するため、組み合わせが決定してから、対戦相手を見ながらチーム内の割り振りを決めます。我チームはすでに強豪チームとなっていたため、「A」チームには強敵をぶつけてこなくなっていた。そのため、私たちの取った手は、「A」チームは中堅にして、「B」チームをベストチームにしていた。そうすることにより「A」と「B」は予選を突破する事ができるのである。

【同好会大会 3年生 春】
予選リーグ
 @専○大学E 2−0
 A神△川大D 2−0
準決勝トーナメント
 B日◇大(経)B 2−1
 C明☆(和泉)A 2−1
 D法◎大学A  0−2
前回大会に引き続きベスト8

この大会はいまだに良く覚えている。同好会大会は半分お遊びなところがあり、私たちチームはベストメンバーを組んでいなかった。(それでベスト8だからすごい!!)私は普段ライトアタッカーをしているが、同好会大会ではレフトアタッカーをしていた。そしてライトには、普段雑用とかをお願いしている後輩を入れていた。

私個人はこの大会の明☆(和泉)Aまでは、アタックを打てば決まるというほど調子がよかった。しかし、法◎大学Aとの試合では、コテンパンにやられてしまった。
法◎大学Aの平均身長は190cmを越えていた(私より平均身長で10cm以上大きいんです)と記憶している。私のバレーボール人生で対戦した中で一番平均身長の高いチームであったことは間違いない。アタックを打てばブロックされてしまった。私の打ったアタックのほとんどをブロックされてしまったのである。比較的私はブロックされる事は少ないのだが、このチームにだけは通用しなかったのである。
2010/11/18

 

テキスト ボックス: 大学生編O

同好会大会の勢いをそのままに理工連にのぞみました。
2部は前回の秋の大会とチームの変更は無く、会場に着くと他のチームは「え!」っていう感じで私たちのチームを見ていた。

そうなんです。私たちのチームはメンバーの入れ替えが無かったんです。それを見て驚いたんですね。

前回は1敗しての優勝だったので、この大会は全勝優勝をねらっていました。問題は前回負けた千◇工大です。この大学には、ちょっとへその曲がったようなアタックを打つエースがいるんですけど、このエースアタッカーもまだ残っていたんです。

【理工連成績】
 @☆蹊大学 2−0
 A筑△大学 2−0
 B千◇工大 2−1
 C芝○工大 2−1
☆	全勝優勝☆でした。

やはり千◇工大には苦労しましたが、目標通りの全勝優勝できました。最後の芝○工大は、千◇工大に勝って安心したために気が抜けてしまって、1セット取られてしまいました。

そして入れ替え戦に望みました。この試合は当時としては珍しいのですが、顧問の先生がビデオを貸してくれて、記録が残っています。相手は、電○通△大学で、エースに190cmを越えるエースアタッカーがいました。

この選手のアタックはなぜか私にことごとくブロックされちゃうんです。あっというまに1セットを取り、2セット目に入るのですが、この選手のアタックが私も目に当たり、左目が内出血して霧がかかったように真っ白になっちゃって右目だけで試合をしていました。しかし途中で選手交代してもらい、ベンチに引っ込みました。(大学入学以来ベンチの座ったのはこのときだけです。)2セット目もリードしていたので、このまま大丈夫だろうと思っていたのですが、相手の190cmの選手が息を吹き返しちゃったんです。このままではまずいという事で、また私がコートに立つことになり、一本目でまたブロックをしてしまったために、相手チームは勢いが無くなり、2セット目も取る事ができました。

これで次の秋の大会は念願の1部昇格となりました。

【理工連 入れ替え戦】
 @電○通△大学 2−0
☆祝!1部昇格☆
2010/11/19

 

テキスト ボックス: 大学生編P

大学3年生の秋はあまり良い成績ではなかった。同好会大会は予選から強敵とぶつかったのである。確か、両チームとも4年生チームで最後の大会ということで気合が入っていたし、まとまりがあり強くやっとのことで勝つことができた。
逆に言うと、まさか両チームとも予選で負けるとも思っていなかったようである。試合が終わった後に、「(Bチームだけど)Aチームより弱いの?」と聞かれた。実際はAよりもBの方が強いのであるが「ほぼ同じ強さです。」と答えておいた。しかし、この同好会大会は、ベスト32止まりであった。

この大会で、私のアタックに「かみそり」という名前がついた。それは負けたが慶○Bとの試合のときであった。

私のスパイクはどちらかというと「力」ではなく、「切れ」で打ち抜くタイプであった。そして、私の打ったアタックで相手のブロックを打ち抜いた時であった。相手のブロックをしたセッターが手を押さえてうずくまった。

手からは血が流れていた。そのまま救急車で病院に運ばれた。後から聞いたはなしだが、小指と薬指の間が裂けてしまったようである。この大会のちょっと前にチームの練習中に私のスパイクを頭に受けて脳しんとうをおこした後輩もいた。

この頃の私のアタックは危険だったのかもしれない。自分としては、バレーボールの集大成を発揮しようとしていたのかもしれない。

【同好会大会 3年生秋】
予選リーグ
 @早△田E 2−1
 A青◇F  2−1
準決勝トーナメント
 B慶○B  0−2
2010/11/20

 

テキスト ボックス: 大学生編Q

最後の理工連は念願の1部での試合でした。目標としていた1部でしたが、レベルが高く1勝もあげることができませんでした。でも、この1部での経験は私にとってはとても貴重な経験だったと思います。

最下位ということは入れ替え戦です。後輩のためにもなんとか1部に残留しなければなりません。しかし、相手は苦手にしている千○工大です。

しかし、あんなに苦手にしていた千○工大をあっさり破ってしまいました。1勝もできなかったけれども、1部での経験がチームを「一回り」も「二回り」も強くしていたようです。

これで、後輩は1部で試合をする事ができます。そして、後輩たちは次の春の大会では、1部2位というすばらしい成績をあげてくれました。

【理工連成績 1部】
 @東△農業大 0−2
 A◇京工業大 1−2
 B明☆大(生田)1−2
 C慶◎大学  0−2

【入れ替え戦】
 千○工大 2−0 1部残留
2010/11/21

 

テキスト ボックス: 大学生編R

大学4年生は、就職活動もあり試合は同好会の大会のみである。しかも、4年生だけのチームを作り出場する。私たちの場合は4年生が5人しかいないために、下級生を1人足して出場した。

5人の内去年までのレギュラーが4人いるのだからそれなりに強く、春の大会ではベスト16に入った。そして秋の大会も出場しているのだが、詳細の結果が記録されていない。ただ、秋の大会でもベスト16に入っている。

これで私の大学でのバレーボール生活が終わった。高校まではかろうじてレギュラーポジションを取っていた私だったが、大学では一目置かれるような立場になっていた。はっきり言って楽しかったし有頂天になっていたところもあったと思う。

でも、この4年間で自分のバレーは大きく変わり、劣等感から開放されたのも確かである。同好会や理工連というのはローカルな大会なのかも知れないが、中には全国大会に出場した選手や、体育会を退部してきた選手もいて、バカにできない大会である。その中でやってこれたのは大きな自信にもなっていた。

私たちのチームは結構短気なメンバーがそろっていて、いつも落ち着かせる立場に私はいた。そのため高校時代の同級生がいた筑☆大学では、私は「さわやか君」と呼ばれていたようである。

とにかく良い思い出ばかりの大学時代のバレーボール生活であった。

【同好会大会 春4年生】
予選リーグ
 @法○大C 2−0
 A筑☆大E 2−0
準決勝トーナメント
 B東◇大B 2−0
 C慶△大E 0−2 ベスト16
4試合中六大学が3チームもいましたね。

【同好会大会 秋4年生】
予選リーグ
 @東○理科大B 2−?
 A専◇大学B  2−?
準決勝トーナメント
 B早☆田(理)A 2−?
 C明◎(生田)A 2−?
 D国士◆大学E ?−2 ベスト8
大学生活最後の大会でした。
2010/11/22

 

《もどる》

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送